かみむら耳鼻咽喉科
江戸川区/平井/平井駅
- 耳鼻咽喉科
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上村 敏夫 院長への独自インタビュー
生命の神秘に興味を持ったことが、医師の道に進むきっかけに
私は鉄鋼所に勤務する両親の間に生まれました。
そんな私が医師という職業を志した背景には二人の大きな存在がありました。
それは私が小学4年生の時、大学出たての若い担任の先生が、大事にしている顕微鏡を一ヶ月間私に貸してくれたんです。
毎日ミジンコなどの微生物を見ては、ミクロの世界に感動したのを今でも鮮明に覚えています。そういった出来事が生物や医学に興味を持った要因となりました。
また、中・高生になると遺伝子(DNA)に興味をもち、DNAの二重らせん構造には深く感動しました。若い頃から、生命の神秘に興味を持った事が、医大へと進むきっかけとなりました。
大学に進学後はゴルフ部に入部しました。そのゴルフ部の部長が耳鼻科教授だったんです。
「メスを持つ外科系に進みたい」という目標を教授に話したところ、「耳鼻科医がいいよ」とアドバイスをいただき、お互いに握手を交わしたんですよ。それが人生選択の決定的瞬間となりましたね(笑) 。
私を必要としてくれた人達のために
青森県弘前大学の医局で9年間、埼玉県羽生市内の病院で1年間、御茶ノ水の神尾記念病院で3年間。勤務医として数多くの患者様の診断、治療に携わり、臨床、研究、多くの研鑽を積んできました。
開業にあたりこの場所を選んだ理由は神尾記念病院に勤め、そろそろ開業をと考えていた時期に、「開業するなら、私達の住む平井に是非開業して欲しい」と患者様達から懇願されたのです。
私を必要とする人が居るならば、是非そこへ行こうと思い、この場所で開業する決意をしました。
私は自身の好きな言葉のように『人生如浮草生涯無根草』一箇所に根を張らずに浮き草のように流れに沿う。「私を必要とする人が居るなら行こう」常にそう思っています。