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木下 三和子 院長

MIWAKO KINOSHITA

街のお医者さんとして、地域の人が幸せに暮らしていけるためのお手伝いをしたい。

大学卒業後、小児科に入局、自身の病気や結婚や妊娠でつらい時期も経験、友人に導かれ皮膚科へと入局。様々な経験を経て「自由が丘駅」より徒歩3分ほどの地に『木下皮フ科』を開院。

木下 三和子 院長

木下 三和子 院長

木下皮フ科

世田谷区/奥沢/自由が丘駅

  • ●皮膚科
  • ●アレルギー科

人生の節目節目で言葉を掛けてきた父や友人に助けられ。

木下 三和子 院長

父が医師でした。私は2人姉妹の長女でしたから、母としては、「どうしてもお姉ちゃんを跡取りにしなきゃ」と思ってたようなのですが、強く言われれば言われるほど抵抗したくなるのが子供ですよね(笑)。それで私は、薬剤師か化学者になりたいと思っていたのですが、父から、「受けられる医学部があったら1つでも良いから受けてくれ」と頼まれ、それを受け入れることにしたのです。
父は普段は口数少ない人だったのですが、人生の節目節目に、言葉をはさんできたものです。あの時、父は「女性が自分の考えで仕事に取り組める世界がどれだけあると思う?」と言葉を掛けてきました。医学部で6年間、人の命をさまざまな角度から見て、それから別の道に進んでも遅くない。医師免許は女性にとって強い味方だよ、と粘り強く説得されたのです。本当に、父の一言がきっかけですね。あれがなければおそらく、今の私はいないと思います。
私は初めから皮膚科医だったわけではなく、最初は小児科に入局しました。あの時期は、仕事が肉体的にも精神的にもハードな上に、結婚や妊娠、自身の病気も重なり、本当につらい日々を過ごしました。立ち直るきっかけさえつかめず、「このまま医者をやめてもいいかな…」と思うようになっていたのです。
そこへ今度は、大学時代からの友人が助け舟を出してくれました。家に来てくれた彼女は、「あんた、何やってるの!良いから出てきなさいよ」と強引に私を引っ張りだすと、あれよあれよという間に、皮膚科へと入局することになったのです。

あれから時が経ち、1992年に『木下皮フ科』を開院したときから数えても20数年が経過したことになります。行く先々で誰かに助けてもらい、今の私があるわけで、その恩を医療を通じて少しでも返していければと思っているところです(東急東横線/東急大井町線・自由が丘駅より徒歩3分)。

人に寄り添うということを強く意識して。

木下 三和子 院長

この10年で何が一番変わったかと言うと、それは私自身の“心”かもしれません。人に寄り添うということを以前より強く意識するようになりました。まだ若かった頃は、こうすれば治るのにと思えば、それを口に出し、患者さんに強く勧めたこともあったのです。でもそれが今は、もちろんお話はさせていただきますけれども、その方が望まないのなら別の方法を模索してみよう、と変わってきました。やはり、その人が心から納得してやってみたいと思わないことには、治療が上手くいかないこともあるんですね。また、前向きに治療に向かうことで、免疫を良い状態に導くことも可能になります。
以前はひたすら、「医療とは人の病気を治すこと」だと思っていました。もちろん、それは今でも医療の一面ではあると考えていますが、それだけではない、ということ。その人のやりたい治療を医療面から判断し、これからどうしていくか、じっくり考えていく。それが、街のお医者さんの仕事だと思っています。

訪問栄養食事指導について。

木下 三和子 院長

糖尿病や腎不全、あるいは低栄養の患者さんを対象に、当院の管理栄養士が食事指導をおこなうものです。ケアマネージャーさん達を通して患者さんを訪れ、主治医の先生の監修のもと、食事の指導をおこない、その結果をまた主治医の先生にあげていく。あるいは、お口の嚥下機能が悪くなっている方に対し、その人が食べられる形態のものをセレクトしていくといったこともそうです。
独立した立場で、他院の先生の患者さんに対して栄養食事指導をおこなうこの取り組みは、日本ではまだまだ珍しい部類に入るかと思います。

私がこの仕事に携わるようになったきっかけは、褥瘡(じゅくそう=床ずれ)でした。褥瘡には治るものと治らないものとがあり、その要因を突き詰めていくと、身体が動かせないことと並行して、食事が充分に摂れないという事実があったのです。
食事が摂れなくなった方にとって、胃ろうは確かに大切です。しかし、胃ろうを始めたからといって、すべての方がもうお口から食事を摂れないというわけではなくて、並行して、元のようにごはんが食べられるような工夫はしていくべきだと思うんです。
テレビを見れば、ほとんどの娯楽番組で「食」が扱われています。食べられなくなった人達は、それをどういう気持ちでご覧になっているでしょうか。私は、その気持ちに寄り添って、できるだけのことをさせていただければと思っています。

メディカルエステについて。

すべての女性にとって、肌の悩みは切実なもの。その、しみや小じわを少しでもきれいにできればと始めたのがメディカルエステです。
当院のメディカルエステは、少々無理をしてでも、しみやしわを完全に取り去ろうとするものではありません。そもそも、年を重ねればしみやしわは自然とできていくものですし、それを無理のない程度の負荷で改善するのがベターだと思っています。前よりちょっときれいになった。その変化で、女性というものは元気になっていきますし、イキイキと暮らしていくためのお手伝いをさせていただければと思っています。

これから受診される患者さんへ。

若い先生方にお話しすることでもあるんですけれどね。いつか、花開く仕事ができればいい。それが小さい花であってもまったく構わないし、大事なことは、咲かすことにある、とね。だから、私も決して無理をしようとは思いません。そのかわり、今できることを患者さんに精一杯やらせていただこうと思っています。
1番うれしいのは、おじいちゃんやおばあちゃんが、お孫さんを連れてきてくれる時。その瞬間は、私の精一杯を理解してくれたんだなと、本当に幸せな気持ちになります。街のお医者さんとして、地域の人が幸せに暮らしていけるためのお手伝いを続けていきたいと思っています。

※上記記事は2016年2月に取材したものです。
時間の経過による変化があることをご了承ください。

木下 三和子 院長 MEMO

  • 出身地:神奈川県
  • 趣味:テニス、教室、アルゼンチンタンゴ
  • 愛読書:もういちど読むシリーズ(山川出版社)
  • 好きな映画:ローマの休日
  • 好きな言葉:笑顔
  • 好きな音楽:クラシック、ラテンミュージック、アルゼンチンタンゴ
  • 好きな場所:八ヶ岳

グラフで見る『木下 三和子 院長』のタイプ

穏やかで明るく話しやすい先生

穏やかでやさしく
話しやすい
エネルギッシュで
明るく話しやすい

先生を取材したスタッフまたはライターの回答より

穏やかで明るく話しやすい先生
穏やかでやさしく
話しやすい
エネルギッシュで
明るく話しやすい

先生を取材したスタッフまたはライターの回答より

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