木下皮フ科
世田谷区/奥沢/自由が丘駅
- 皮膚科
- アレルギー科
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木下 三和子 院長への独自インタビュー
人生の節目節目で言葉を掛けてきた父や友人に助けられ。
父が医師でした。私は2人姉妹の長女でしたから、母としては、「どうしてもお姉ちゃんを跡取りにしなきゃ」と思ってたようなのですが、強く言われれば言われるほど抵抗したくなるのが子供ですよね(笑)。それで私は、薬剤師か化学者になりたいと思っていたのですが、父から、「受けられる医学部があったら1つでも良いから受けてくれ」と頼まれ、それを受け入れることにしたのです。
父は普段は口数少ない人だったのですが、人生の節目節目に、言葉をはさんできたものです。あの時、父は「女性が自分の考えで仕事に取り組める世界がどれだけあると思う?」と言葉を掛けてきました。医学部で6年間、人の命をさまざまな角度から見て、それから別の道に進んでも遅くない。医師免許は女性にとって強い味方だよ、と粘り強く説得されたのです。本当に、父の一言がきっかけですね。あれがなければおそらく、今の私はいないと思います。
私は初めから皮膚科医だったわけではなく、最初は小児科に入局しました。あの時期は、仕事が肉体的にも精神的にもハードな上に、結婚や妊娠、自身の病気も重なり、本当につらい日々を過ごしました。立ち直るきっかけさえつかめず、「このまま医者をやめてもいいかな…」と思うようになっていたのです。
そこへ今度は、大学時代からの友人が助け舟を出してくれました。家に来てくれた彼女は、「あんた、何やってるの!良いから出てきなさいよ」と強引に私を引っ張りだすと、あれよあれよという間に、皮膚科へと入局することになったのです。
あれから時が経ち、1992年に『木下皮フ科』を開院したときから数えても20数年が経過したことになります。行く先々で誰かに助けてもらい、今の私があるわけで、その恩を医療を通じて少しでも返していければと思っているところです(東急東横線/東急大井町線・自由が丘駅より徒歩3分)。
人に寄り添うということを強く意識して。
この10年で何が一番変わったかと言うと、それは私自身の“心”かもしれません。人に寄り添うということを以前より強く意識するようになりました。まだ若かった頃は、こうすれば治るのにと思えば、それを口に出し、患者さんに強く勧めたこともあったのです。でもそれが今は、もちろんお話はさせていただきますけれども、その方が望まないのなら別の方法を模索してみよう、と変わってきました。やはり、その人が心から納得してやってみたいと思わないことには、治療が上手くいかないこともあるんですね。また、前向きに治療に向かうことで、免疫を良い状態に導くことも可能になります。
以前はひたすら、「医療とは人の病気を治すこと」だと思っていました。もちろん、それは今でも医療の一面ではあると考えていますが、それだけではない、ということ。その人のやりたい治療を医療面から判断し、これからどうしていくか、じっくり考えていく。それが、街のお医者さんの仕事だと思っています。
院長の木下先生は、とても楽しいお人柄で優しい先生です。しっかり診察してくださるので、子供ともどもお世話になっています。