医療法人社団 北欧会 弘岡歯科医院(スウェーデン・デンタル・センター)
千代田区/内幸町/内幸町駅
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弘岡 秀明 院長への独自インタビュー
先進の歯科医療を学ぶべく留学。
子供の頃は商社員か歯科医師になりたかったんです。祖父と叔父が歯科医師だったので祖母からいろいろ話を聞いていて、「人のためになりたい」と思っていました。それと並んで商社員への憧れもあったんです。安定性、収入の面で当時、大人気の仕事でしたからね。まずはその方面の大学に進んだのですが、あるとき気づいたんです。実際に商社で働いたとしても、決定権を持つようになるまでにはそうとう時間がかかる。私は自分でいろいろなことを決めて進みたかったので、手に職をつけて開業できる歯科医師になろうと方向転換して、本籍があった九州の歯科大学に入りなおしたんです。
卒業後、こちらで開業した歯科医院が順調にすすんで、たくさんの患者さんを診させていただきました。ただ、このままでいいのだろうかという思いが日に日に強くなりました。患者さんに最善の治療を施すには、先進の歯科医療を本場で学ぶ必要があると考え、海外に渡りました。
スウェーデンに滞在した5年間が私の礎。
当時は補綴(ほてつ)を専門としていたので、その技術を極めるべく、アメリカの大学や研究機関をまわりました。その中で1986年にペンシルバニア大学の歯周病科でコースを受講し、その後の方向性ががらりと変わりました。歯周病学の世界的な第一人者であるヤン・リンデ教授の「再生療法で歯を持たせる」という考えや「どの治療が一番いいかを知るために自分達で研究して比較、検討する」という姿勢に深い感銘を受けました。その後、スウェーデンのイエテボリ大学に戻ることになったリンデ教授が「一緒にこないか」と誘って下さったのでスウェーデンに渡ったんです。留学して半年くらいが経ったころ、リンデ教授が大学院を設置して下さいました。私はイエテボリ大学大学院の1期生として2年間、歯周病の専門医コースを受講したあと、後輩に指導しながらインプラントを学び、卒業論文を提出して1993年に学位を取得。インプラントと歯周病を学んだのも、イエテボリ大学大学院で学位を授与されたのも日本人で初です。
スウェーデンに滞在した5年間は、今の私の礎となっています。リンデ教授から学んだことのひとつに「患者さんの口腔ケアができて、幸せになっているか」を治療の指針にしなければならない、というのがあります。それもあわせて、向こうで学んだことや初心を忘れないよう、オフィスに学位証書と「大学院修了証書」という証書を飾っています。その前を毎日通るのですが、そのたびに「しっかりやらなきゃな!」と気持ちを新たにしているんです。
私が10年間師事した師匠です。インプラント、歯周病に関する知識、技術は素晴らしく、当医院オープンの際は「スウェーデン」を名乗ることを了解していただきました。