すうじい歯科医院
江戸川区/北小岩/京成小岩駅
- 歯科
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鈴木 美枝子先生 & 光一先生への独自インタビュー
ともに“母”に導かれ、歯科医師の道に
【美枝子先生】
元々は文系に進んでいまして、学校の先生になるのが夢だったんです。教育実習も経験しましたし、英語の教員免許も所得したんですよ。
しかし、母に歯科医を勧められ歯科医となりました。そんな私の母は歯科医だったんです(笑)。
母が歯科医だった事もあり、そういった環境で育ちましたので、割と自然に歯科医を目指す事が出来たと思います。
【光一先生】
4年間広告代理店に勤めるサラリーマンでしたが、どうも自分には向いていないように感じていたんです。
元々手先の器用さに自信がありましたから、自らの技術を活かせるような職を身に付けたいと考えるようになり、技工士の道に進みました。
しかし、家内の母が歯科医をしていたことから、義母に『歯科医になってほしい』と猛烈に懇願されていたんです(笑)。
そんな義母の熱意に後押しされ、歯科医を志したというのがきっかけですが、手に職を付けることもでき、結果が目に見えるという歯科医になれて、今では、これが天職なのかなぁと思っています。
他の路線を経験してからの転身だったことが、現在の糧に
【美枝子先生】
歯科大を卒業後は東京医科歯科大学にて勤務医を経験してきました。その後、1978年(昭和53年)に母の下、この『すうじい歯科』で地元地域での治療に専念する運びになりました。
母と共に診療に当たった後、母は引退、その後は主人と共に診療しております。
進路を方向転換する以前までは、文系の道におりましたから、歯科大学に入り、とても新鮮で大学の雰囲気が良かったのか、すごく楽しかった事を今でも鮮明に覚えています。
【光一先生】
脱サラ後は、物作りが好きな事から、歯科技工士として働きました。その後36歳で歯科大へ入学しました。卒業後は、大学に残り研究や勉強に励みながら、この『すうじい歯科』で治療にあたっておりました。
妻も同様ですが、他の路線を経験してからの歯科医への転身でしたが、その経験は色々な面で糧となっていると思います。
また、歯科技工士を経験したことで、専門的技術を取得でき、歯科医師としても貴重な体験となりました。
いつも優しくて先生というイメージじゃなくて、すごく親しみやすいです。