あおいデンタルクリニック・麻布十番ぺリオインプラントセンター
港区/麻布十番/麻布十番駅
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青井 良太 院長への独自インタビュー
阪神淡路大震災が運命を変えた。
歯科技工士をしていた父が「歯科医師になったらどうか」と、〝見つけてきた″んです(笑)。18歳くらいのときにぶれない進路をみつけるのって難しいことですよね。私もその1人で、父の薦めてくれた道を「まずは進んでみようか」と朝日大学に入学しました。そうはいうものの、いろいろな理由から、途中で「もうやめようか」と思うようになって、試験を受けないこともありました。でも、ここでやめたら中途半端なんじゃないかと。学費も親に出してもらっているのに、何も残せないままになってしまう、と気づいてからは奮起しました。留年せずに卒業できたのは、猛勉強と根性があったからこそでしょう。
歯科医師になって1年目は、歯科の仕事そのものの他に、成果がお給料に反映されることの楽しさと、経営の仕方などを学ぶことができました。ただ、仕事はハードでしたね。1年目の冬には、その後の私の運命を変えたとも言える出来事、阪神淡路大震災が起こります。神戸に引越して来た時は、あれこれ物件を捜し歩いていました。「三宮はどうかな。でも他も見てみよう」と移動して、そこで被災したんです。三宮に住んでいたのなら多分命は無かったでしょう。
困っている人のために「歯医者として何ができるか」。
三宮は物件は倒壊し神戸の街は凄惨な風景が広がっていました。「歯医者として何ができるか」と考えたときに、入れ歯を失くして困っている人が多いなどの状況を知り、必要とされていることを実感しました。「医療は技術があればできる」との思いから、避難所などに足を運ぶ日々でした。炊き出しに参加させていただいたり、お弁当も一緒に食べたりしました。そこでは歯科医師が不足していて1年目の私が実感したのは、私だけではなく、歯科医全体の「知識と技術を磨くことの必要性」です。そこから、勉強会に誘われた縁もあって、歯科のさまざまな分野の専門家と話すことができるようになりました。それから5年、師と仰ぐ先生に出会えました。第一線の方と対等に話をするためには相当勉強しなければなりません。でも、そのおかげで広い分野の専門性を高めることができました。大阪と東京を行き来しながらの勤務と勉強会でしたが、その後の基盤をしっかり固めることができましたね。麻布十番で開業したのは、師匠である院長に薦められたんです。それから、「東京の真ん中でやってみよう」という挑戦でもありました。
日本のトップクリニシャンのひとりです。今、40代でおられるのですが、この世代におけるリーダー的存在であることは間違いありません。