清澄白河よこい眼科
江東区/清澄/清澄白河駅
- 眼科
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横井 克俊 院長への独自インタビュー
所縁ある清澄白河で眼科医療に貢献。
きっかけとなる何か具体的な出来事があったわけではなく、たまたま祖母と父が眼科医である家庭に育ちました。ですから正直、特別高い志や目標を抱いて医師になったのではないのです。成長の過程でまわりを見ていたら自然とこの道に進んでいたという感じですね。もちろん「プロ野球選手になりたい」とか子供らしい夢は持っていましたが、どこか現実的に「それは無理かな?」と思うところもあって、小学校の文集などを読み返しても「将来の夢は、○○もしくは眼科医」といった具体に必ず眼科医を併記していました。実は兄も眼科医で、実家のクリニックは兄が継いでいます。ですから僕は何科の医者になってもよかったのですが、そこは言わば初志貫徹で、迷うことなく眼科医になることを選択しました。
大学は地元の信州大学医学部に進みましたが、卒業後は東京医科大学の大学院に進学しました。大学院修了後は大学病院やいくつかの病院で研修し、2005年から2008年にかけてアメリカのジョンズ・ホプキンス大学に博士研究員として派遣していただきました。帰国後は東京医大病院と八王子医療センターで講師として働き、後進の手術指導などに携わりました。とても充実した毎日だったのですが、徐々に「自分は教育職には向いていない」と感じることが多くなり、ずっと最前線で働き続ける開業医の道を選ぶことにしました。
当院を開業したのは2013年1月15日。清澄白河を選んだのは妻の実家に近いということが第一の理由でしたが、私の祖父の故郷だということも大きな理由でした。せっかく開業するのだから自分に所縁の深い場所を選びたかったんです。
お子様の目の気になる症状はすぐに眼科へ。
眼科の患者さんには性別も年齢も関係ありません。誰しも一生を通じていろんな目の病気にかかります。ですから当院にも、それこそ新生児から100歳近くのご高齢の方まで、とても幅広い年代の患者様が来院されています。この辺りは江戸の昔からの下町ですが、近年は高層マンションが多数建設され、若いファミリー層の人口がとても増えています。ですから毎年5月の学校健診の時期には、学校で渡された紙を持った小学生が大挙して押し寄せるので、午後はまるで小児科です。
ただ、お子さんでももっと下の年代だと、詳しい視力検査などを受ける機会がありません。ですから、たまたま結膜炎で受診した幼稚園児が、実は全く別の目の病気を抱えていて視力が不良なんてケースも時々あります。片目の視力が悪くても、もう片方がちゃんと見えていれば、お子さんは意外と普通に日常生活を送れてしまうので、周囲がそれに気がつかないことも多いんです。小さいうちであれば改善できていたはずの視力が、10歳くらいになるともう治療不能になる場合もありますから、少しでも見えにくそうな素振りがあればすぐに連れてきていただきたいですね。一生の問題ですから、少し大げさなくらいで丁度いいんです。
サッカーをしている子どもの父親たちでつくったサッカーチームの仲間であり、プライベートな友人。診療科目は違いますが、医療に携わる者同士として話が合ううえ、優しく実直な人柄です。