本田医院
文京区/本郷/春日駅
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本田 英世 院長への独自インタビュー
すーっとそのまま流れていったというのが正直なところ
「医者になりなさい」と直接言われた記憶はないんですが、医師であった両親の影響は強かったでしょうねえ。小さい頃から親の仕事場に出入りして、患者さんを診ている父の姿をずっと見ていたものですから、気負いのようなものもなく、すーっとそのまま流れていったというのが正直なところではないでしょうか。
日本医科大学に進み、専門は外科を選択しました。先程も言いましたように、父が手術をしているのを端で見てたくらいで、外科というものへの興味は幼い頃からのものだったと思います。また、外科医は状況により内科的な診断もこなさなければならず、手術後は糖尿病や高血圧を抱えた方の経過も診なくてはなりません。「全てを診れる」ということが外科医の本領であり、その点に魅力を感じてその世界へと進んだのです。
大学病院で10年務めたのち、父が院長であった『慈愛病院』へと移りました。そこでは本当に何でもやったものでした。救急救命もそうで、当時は整形外科も手掛けていました。今日的な言い方をするならば総合外来医的な立場がいつの間にか板につくようになっていました。2005年に『本田医院』を開院致しましたが、当時の経験が今の私の診療を支えてくれているような気もしています。
初心に返って患者さんを診ていきたい
私の母は山形の人で、若い頃に上京し、この近くの開業医さんのもとでお手伝いをしていたと聞いています。なかなか見込みがあったらしく、その開業医の先生から「医者を目指しなさい」と薦められたらしいのです。しかし、彼女は学校を出ていなかったものですから、となるとイチからということになり、そこで現在の青山学院へと進んだのです。なにしろお金がないものですから、母は学生の身でありながら同校の寮母も務めていたようです。その後今の東京女子医大へと入り、医師となり、私の父と一緒になったと、そういう経緯ですね。
トドの初めは、父よりも母のほうが「病院を作りたい」と強く思っていたようです。それを受け、この菊坂でもって開業したのが全ての始まりですね。その病院は今は場所も変わり、『慈愛病院』となっています。私がここで開院をしたのは、両親が始めた最初の場所に戻ってきたという意味合いがあるんです。大した距離ではないようですが、年をとってくると『慈愛病院』まで歩いて通うのも大変ですし、この地域の方達の少しでもお役に立てればと思っています。
もう1つ。"病院の上"に立っていますとね、見えなくなるものが多いんですよ。自分がイスに座ってふんぞり返って治療をしていられるのは、掃除をしてくれる人や、色んな人がいてくれるからこそでしょ。そして、なにより患者さんがいるからこそ。もう私もいい年ですから、わずかな人生、初心に返って患者さんを診ていきたいと思ったんですね。