足立慶友リハビリテーション病院
足立区/足立/五反野駅
- リハビリテーション科
- 整形外科
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松本 慈寛 院長への独自インタビュー
遺伝子研究の可能性を感じて、医師を志すように
私の実家はお寺なのですが、僧侶である父は大学時代、薬学を学んでいました。また私自身、子供のころに野口英世の伝記などを読んだことで、理系の方向にはずっと興味を持っていたんです。進路について考え始めた高校時代は、ちょうど遺伝子研究がクローズアップされた時期で、私もこの分野に携わりたいと考え、父と話し合いました。そして、遺伝子を研究するならば、最終的に研究の成果を患者さんの元に届けられる「医師になるのが一番だ」と。そんなアドバイスをもらったことで、医学部進学を決めました。
そうした経緯で医学部に入学したものですから、最初は基礎研究をしたいと思っていたものの、やがて「人」を相手にした医療をおこないたいと考えるようになり、臨床医となりました。中でも、自分がおこなった行為が、そのまま患者さんに反映される麻酔科医に魅力を感じて、大学病院で10年近く経験を重ねました。
「医師」と「僧侶」2つの顔を持ち、患者さんの心と体をサポートする
私が在籍していた北里大学病院の麻酔科は、手術やICU(集中治療)の麻酔を担当するほか、ペインクリニックや緩和ケア、産科麻酔など、さまざまなシーンで患者さんを支える「縁の下の力持ち」という感じがありました。ターミナルケア(終末期医療)では、末期のがん患者さんを担当し、痛みのコントロールをすることも多かったのですが、あるとき1人の患者さんに問いかけられたことがあるんです。
「先生、死んだらどうなるのかな?」と、そのとき、私はきちんとした答えを返せなかったことを後悔し、患者さんの内面を見ていなかったことを反省しました。私は死に対する恐怖がなかったんです。その理由は何かというとやはり宗教にあると気付いたのですが、それを伝える術を持っていなかった。それが欲しくて診療の傍ら僧侶としての道を志しました。
私が医師になったのが2009年、僧侶となったのが2013年。冬の寒い時期に100日間かけておこない、世界三大苦行といわれている「荒行」も2回経験しました。そして、開業した今は平日5日間を医師として診療にあたり、週末の2日間は実家のお寺を手伝うという生活を送っています。僧職系医師(ドクター)という事です。
松本 慈寛 先生は大学の同期で、部活も一緒でした。お釈迦さまの生まれ変わりではないかと思うほど温和な性格で、彼がいないと病院が成り立ちません。