小関クリニック
世田谷区/成城/成城学園前駅
- 小児科
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小関 温子 院長への独自インタビュー
医師である父から勧めれた世界
私は一人娘でした。将来を心配したのでしょう、小学4年生の時に父に呼ばれて、「お医者さんを目指しなさい」と告げられたことがこの道を目指す契機となりました。当時も男性優位の時代でしたが、父は、「今後必ず男女同権の時代が訪れる。その時、最初にその機会を得ることができるのは、この世界に違いない。努力と少しの能力があればなれないはずはないから、医学の道を目指しなさい」と私に伝えたのです。父は先の戦争に従軍し、ロシアの地で抑留された経験がありました。その時、ロシアの女性医師が働いている姿を見たそうなんですね。まだまだ男女同権など夢であった時代にそうまで断言できたのは、父のそうした経験もあったのでしょう。
ただ、父は厳しかったですね。幼い頃の私は体が弱く、病気ばかりして学校にも満足に通えていない状態でした。「これはとても無理」と思ったものですけども、「寝ていても勉強はできる」と、厳しく指導されたことを今も憶えています。
でも、今となればその導きには感謝しかありません。至極単純ですけれど、病気が治り、お母さん方から「助けていただいてありがとう」と言っていただけると、医師になってよかったと思ってます。
育児学を学んだ医師として
私は大学卒業後、愛育病院の小児科に籍を置きました。当時の病院長は、「日本の育児学の神様」とも称された内藤寿七郎先生でした。内藤先生は、「健康児を知らずして小児科医にあらず」ということをよく仰っていました。病気かどうかを判断するのは、健康な子を見ていればわかること。逆にいえば、病学だけを学んでいたのではその判断がつかないことになりますから、あらゆる子供に接することが大事と教えを受けました。
成長には個人差があります。小さい時からなんでも出来る子もいれば、少し時間がかかってしまう子もいますよね。それは優劣ではなく、個性なのです。小児科医は、病気を診るだけでは不十分です。子ども達の成長のスピードには違いがあることを理解して、その子その子に応じた育て方であったり、見守る視点のあり方をお母さん方にお伝えしていくことも大切な役割と認識しています。