松永ひろきクリニック
港区/新橋/内幸町駅
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松永 博喜 院長への独自インタビュー
さまざまな体験を経て、科学(医学)を学ぶために医学部へ
私が医師になったのは、子供の頃に読んだ「野口英世」の偉人伝がきっかけと言えるでしょうか。母が買い与えてくれた3冊の偉人伝を繰り返し読むうちに、医療というものを意識するようになったのだと思います。と言いましても、成長して中学校に通うようになると、分別のなさから悪事を働くこともありまして(笑)。お寺に入って心を入れ替えなさいと言われ、弘法大師空海のお寺で生活していた時期もありました。
私がいたお寺の近くには病院があったのですが、当時はそこから逃れるようにして、心や体に悩みを抱えた患者さんが駆け込んでくることがあったんですね。実際に、交通事故で失明状態にあった私の父も現代医学では治らず、お寺に通って宗教的なアプローチをすることで完治したという事実もありました。空海が唱えた科学と、それに反する非科学。両者の矛盾を感じながらも、やはり科学(医学)を学びたいと考えて、福岡大学医学部に入学しました。
弱者に寄り添い、医療を超えてサポートできる体制づくりを
大学を卒業した後は、久留米大学病院の精神科に籍を置いて診療をはじめました。その後、日本の4大公害病に数えられる、熊本県水俣湾周辺で発生した「水俣病」被害者の救済活動に携わることになったんです。水俣病によって障害者となった方、さらには知的・精神的・身体的な障害のある方々への補償を一本化するとともに、弱者にやさしい町づくりにも尽力しました。そして、さまざまな立場にある方々と交流を深めるなか、1人の患者さんに対して、医療の枠を超えて問題解決のお手伝いができるような、「大きな病院構想」というアイディアが浮かんできたのです。
救済活動から退いた後は、福岡県内にある病院の院長を任されて精神科・脳神経外科・神経内科を中心に診療をおこない、2000年に福岡市内で『夢人さんのクリニック』を開設しました。「夢人」とは、私が詩や本を書く際のペンネームで、クリニックでは心療内科をメインにした診療をしていました。かつて私がお世話になっていた駆け込み寺のように、患者さんが何かお困りのときの拠り所となるような場所、都会でありながらもホッとできるような空間をご提供したいという想いでクリニックを開設したんです。その後、ご縁があってその拠点を東京に移し、現在に至るという感じです。