とよす内科クリニック
江東区/豊洲/豊洲駅
- 内科
- 胃腸内科
- 消化器外科
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金澤 信彦 院長への独自インタビュー
高校三年生の夏、突然の入院が未来を決めた。
実を言うとこの道に進む気は全くなく、高校生の頃は物理がやりたかったんです。「宇宙はなぜ出来たのか?」とか、コンピューター関係の仕事も考えたりですとか、とにかく系統が違う仕事に就こうと思っていました。ですが、受験を控えた高校三年の夏に、入院を伴う病気を患ってしまったんです。そのことが医師になるきっかけとなりました。足かけ二か月ぐらいの入院でしたが、その時は原因がわからなかったんですよ。そこで、「物理は趣味でも出来るけど、医学に関しては趣味では出来ない、医学部に進まなくては医学は学べない」と考えたんです。医師になるというよりは、自分の病気について知りたい、病気について研究したいという思いでの医学部進学でした。ですが、大学入学後、直ぐにC型肝炎ウィルスが発見され、私の病気の原因もこのウィルスだったことがわかったんです。大学3年の時には治療法が保険適用になり、私も治療してもらった結果、大学を卒業する頃には治ってしまったんです。ですから、私としては「あれ?」という感じで、卒業した時点で「どうしようか」という状態でした。それでもやはり6年学べば、この経験を活かさなくてはと思うわけで、どうせやるなら「肝炎」について研究しようと、特に消化器内科の専門性を高めてきました。
豊富な勤務医経験を活かすべく開業を決意。
勤務医生活は大変ではありましたが、様々な手技を身に付けられますし、苦しくとも医師としては仕方のないことだと思っていました。ですが、結婚し、子供が生まれ、改善される見込みのない勤務体系やそれが当たり前という風潮への疑問が大きくなっていきました。医療に対する一部の心ない報道にも心を折られました。それでも医療の現場が嫌いになったわけではありませんでしたから、この状況から一旦外に出て周りを見直してみようと思い、大学医局のローテーションを外れ、常勤から非常勤になりました。4年ほどの間、いくつかの病院で定期的に内視鏡や外来を行う一方で、スポットで病院やクリニックに伺いました。延べで50はくだらないでしょうか。その中で、開業は頭になかった私でしたが、いい意味でも悪い意味でも「この病院のやり方はどうなんだろう?この医院は良いシステムだ」と影響を受けました。環境を変えて心にゆとりができてゆく中で、多くの患者さんと出会い、もう一度一人一人と向き合ってみたいと思い、開業することにしました。
金澤信彦先生のもとには、特に大腸カメラが必要な患者さんを紹介させていただいています。ご近所ということもありますが、内科的な病気で、より専門的な診察が必要なケースにおいて、とても頼りにさせていただいています。