仁木医院
板橋区/板橋/板橋区役所前駅
- 整形外科
- 外科
- リハビリテーション科
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仁木 美奈子 先生 & 敦子 先生への独自インタビュー
お医者さんに診てもらえない人を、私が診てあげたい。
【仁木 敦子 先生】
小学校3年生になる時、巣鴨からこちらに引っ越してきました。板橋はその頃はまだまだ田舎だったんでしょうね、お医者さんに診てもらえない人も多かった時代でした。それなら、私がお医者さんになって無料診療をやろうと心に決めました。
それから戦争や疎開を経験してその想いが希薄になったこともありましたが、自分の将来を決める頃になってパッと思い出しまして、医学部へ進むことになったんです。
私は東京女子医科大学がちょうど“大学へと昇格”した時の第一期生になります。当時はインターンが終わってから国家試験という順番で、近くの豊島病院で研修を終え、それから大学の整形外科医局に戻りました。『仁木医院』を開設したのは1961年のことになります (都営地下鉄三田線「板橋区役所前」徒歩3分)。
【仁木 美奈子 先生】
私が通っていた小学校はミッションスクールでした。「神を仰ぎ、人に仕う」というのがスクールのモットーで、人のために何をするのかと考え、最も身近だったのが両親の仕事だったのです。
聖マリアンナ医科大学を卒業したあとは母と同じく整形外科医となり、子育て、主人の留学を経て、今からちょうど20年前にここへ戻ってきたということになります。
親子2代にわたり、地域の健康を守り続ける。
【仁木 敦子 先生】
開院から2年が経った1963年に、それまで日赤の外科に勤務していた主人(仁木和三郎 院長)にお願いして、2人で患者さんを診るようになりました。そして今度は1972年に高島平(『仁木外科整形外科』)で分院が整い、現在の体制になったということになります。主人は本当によく働いてくれてたんですよ。休診日の木曜と土曜の午後は高島平にも来て診てくれていました。主人の代わりに私がその役目を務めるようにって初めて「こんなに大変だったんだ」と思ったものです(笑)。
私は間もなく85歳になります。この年まで現役でいられて神様ありがとう、という気持ちですね。
【仁木 美奈子 先生】
整形外科に関して、当初の父は門前の小僧だったようです(笑)。そのかわりといいますか、外科医だった父から、小外科処置を教わることができ助かっています。
当院は整形外科が主になりますが、昔からの習慣で、「お腹が痛い」「熱がある」といった症状も診ていくスタイルを維持しています。父は足腰が弱くなってしまい、少し今は休憩をとってもらってるという形ですね。
仁木医院がおすすめです。個人病院ですね。ご兄弟が薬剤師とかみんなやってね、良いですよ。乗る機械もいっぱいあるから、待ち時間が少ない。