石垣医院
北区/十条仲原/東十条駅
- 内科
- 小児科
- 循環器内科
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五十嶋 一成 副院長への独自インタビュー
この職業を志したきっかけ、現在に至る経緯などをお聞かせ下さい。
商人の子として育った私は、富山高校時代に親父から兄弟同じ仕事はしない方が良いのではないか、また一生涯出来る仕事、技術を持った方が良いということで医師も良いのではないかと勧められました。
2浪の後、故郷の山に来ていた先輩逹の勧めや憧れもあり、日本医科大学に入学しました。
日本医科大学時代は山岳部に所属しました。
故郷の立山の麓という環境、及び家の職業の1つが山小屋やスキーロッジ経営であった為、当然の様に入部し、毎年故郷の山である剱岳で合宿をし、志賀高原のヒュッテに泊まりジャイアンツスキー場へ行きました。
卒業後は母校の第1内科に入局、大学院に進みました。恩師は当時日本循環器学会の理事長であった木村栄一教授で、その後学長になられたので恩師の名前の入った学位記(医学博士)をいただきました。
その大学院時代に非常勤講師として行っていた防衛医科大学校の教官となり、
第1内科の助手、救急部の講師を務めました。
その間に米国のUCLAの関連病院のCedars Sinai Medical Centerの循環器科で1年半、Research Fellowとして働きました。
恩師はスワン・ガンツ・カテーテルのWilliam Ganz 教授で、H.J.C.Swan教授は循環器科の部長でした。その後、自衛隊中央病院の第2内科部長(循環器科部長)に任命され医官として任官し、外来診療科部長を経て、最後は中央病院のリハビリテーション科部長を勤め勧奨退職しました。防衛庁退職後は妻の実家の石垣医院の副院長として勤めております。
循環器科を標榜
今年90歳になる義父の石垣貞一郎が昭和29年に開院しました。 JR十条駅及び東十条駅から歩いて13分ほどの清水坂公園の近い静かな場所にあります。
9年前に私が手伝うことになり、それまで掲げていた小児科を外し、内科、循環器科を標榜しております。