ダクタリ動物病院東京医療センター
港区/白金台/白金台駅
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電話 | 03-5420-0012 |
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所在地 | 東京都港区白金台5-14-1 白金台アパートメント2F |
最寄駅 | 白金台駅 |
駐車場 | 近隣にコインパーキングあり |
WEB | |
休診日 |
完全予約制365日24時間救急救命対応 |
診療時間 |
10:00~12:30 14:30~19:00 [完全予約制] |
特徴 |
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GEN KATO 加藤 元 総合院長
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加藤 元 総合院長への独自インタビュー
ドリトル先生のような動物のお医者さんを目指す。
小学校4年生の時に読んだ、「愛馬読本(小津茂郎 著)」がきっかけとなりました。当時は日本中が富国強兵に向かって一丸となっていた頃であり、その実現には"良質の軍馬"が不可欠でした。武器・弾薬や食料、燃料を運ぶにもすべて軍馬の力が必要でしたからね。ゆえに、世の中には自動車やトラクターの代わりにたくさんの馬がいたのです。
その本には「軍馬のしつけ方・育て方」が書かれていましたが、私はその中からにじみ出る小津さんの馬への愛情を感じ、馬という動物の魅力にどんどんと惹かれていったのです。
私は神戸市出身です。神戸は坂の街です。表に出れば、汗をかきかき、必死に坂道を登っている馬によく出くわしました。全てではありませんが、ほとんどの馬方さんは、馬を追うのに平気で鎖や太い竹棒で力任せに叩いていました。かわいそうと思うでしょ?私もそれがいやでならなかった。人間にお医者さんがいるように、動物も怪我もすれば病気もするのだから、動物のお医者さんが必要に違いない。要するにどちらの側に立つかということで、私はかわいそうな者、弱い者の味方となることを決めたのです。
当時、子どもの夢は、「兵隊さんになって大将になる」と相場が決まっていました。そこでよりによって小鳥から象までの動物のお医者さんを目指すなんていうのは、当時の感覚からすれば非国民同然だったんではないでしょうか(笑)。
あの時代、獣医科のある国立一期の大学は、東京大学と北海道大学だけでした。私は唯一、獣医学部のある北海道大学(東大は農学部獣医科)を選んだわけですが、そこにも馬が関係していたんです。11月の終わりから4月の初めにかけて、北海道は雪に包まれます。生活を送るには暖房が不可欠であり、その燃料を運ぶ馬は大変大切で、終戦後は本州では馬がほとんどいなくなりましたが、北海道には馬が非常に多く残っていたのです。私は、大好きな馬がいる、乗馬、馬術ができるという理由で進路を選んだということになります。
馬が好きで、馬を求めて大学を選んだわけですが、とはいえ、私は馬だけのお医者さんになりたいとは一度も思いませんでした。ドリトル先生のような「犬や猫はもちろん、小鳥から象までの動物のお医者さん」になりたいと思っていたんですね。それで、卒業後は神戸へ戻り、神戸市立王子動物園に獣医技師として赴任しましが、一度も白衣を着たことはありませんでしたし、聴診器をぶら下げたこともありませんでした。6年間、文字通り小鳥から象までの動物達と寝食を共にし、檻の中から人間の文明について考えてまいりました。東京で、2年間の開業見習いの後、念願の動物病院を開いたということになります。
東京は日本で一番洗練された文化と学術、経済、政治の中心であり、動物愛護も含めて犬や猫に対する理解も比較的高かったのです。私としては、ここに至ってようやく動物病院を開業出来る時代に入ったと判断したわけであり、それが1964年、東京オリンピック開催の年、場所は杉並区善福寺でした。
ダクタリ・グループに所属する病院は全国に22病院ありますが、私が直接経営する『ダクタリ動物病院』は、東京医療センターを基幹に、久我山・中目黒・代々木の3つのサテライト病院で構成され、総勢約65名のスタッフが、犬・猫はもとより、各種動物たちの専門レベルでの診療にあたっています。
このうち東京医療センターは、港区「白金台駅」から数分の場所にあり、英語、韓国語での対応が可能で、365日24時間体制の救急救命センター、がんセンター、最新鋭のCTセンター、高度医療センターとして広く他の動物病院の皆様にも利用していただける二次診療施設(セカンド・オピニオン)、さらに高度医療施設として多くの公益社団法人日本動物病院福祉協会(JAHA)認定専門医により運営されています。
第二次世界大戦を境に、動物と人の関わり方が大きく変化。
日本は第二次世界大戦が終結するまで、一部の人々を除き、犬や猫とともに暮らすという文化がほとんどありませんでした。犬といえば、猟犬や番犬、警察犬、はたまた軍用犬しかなく、「犬畜生」という言葉がその時代を表していたのかもしれません。端的にいえば、徴兵制度があり、人が人として、犬も、猫も、馬も、生きものとして認められてなかった時代ということです。
終戦から20年ほどをかけて復興が進むにつれ、占領軍のお偉方たちが「犬や猫と暮らす」という文化を目の当たりにし、日本人もよい意味で、それを真似るようになっていきました。これが、日本人が「犬や猫と暮らす」ようになった契機です。さらに時間が経ち、動物にも命がある、虐待してはいけないという常識が、愛犬家や愛猫家の間でだけに、ようやく広がっていくようになりました。しかし、行政や大切な世間の常識、しきたり(いわゆる知識人たちにも全く欠けていた)としては、特に集合住宅や福祉施設、病院、学校や教室に動物たちを入れることなど今日でも、まだまだです。子どもたちのためにも何とかしたいものですね。
それにしても、「家の中で共に暮らす」という文化が広がっていくのは、もう少し後の時代(この20年後のこと)だったように思います。犬というものは、鎖につないで屋外で飼うものだ、と相場が決まっていたわけです。私は、そうした古い価値観に基づく動物たちに対する考え方を変えなければならないと考え、日本にはまだまだ本当の民主主義とオーガナイズド・メディスンやベテリナリー・メディスンがないために、自分なりに出来ることをやってきた、ということになります 。
うちの猫や、スタッフの犬が白金のほうでお世話になっています。システムが整っていて、安心してかかれます。