東京スキンクリニック
港区/六本木/六本木一丁目駅
- 皮膚科
- 美容外科
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岡部 夕里 院長への独自インタビュー
運命的な出会いをきっかけに、オランダと日本の医師免許を取得
私が医師になったのは、オランダ人の夫との出会いがきっかけでした。社会言語学の研究者としてオランダ政府に勤務する直前、夫との運命的な出会いがあって、その6ヵ月後に結婚。学問の狭い世界で行き詰まりを感じていた一方、二人でいる時間、二人で送る人生を最優先させたかったので、アムステルダム大学医学部の学生だった夫と一緒に医師になろうと、退職し、同じ大学に再入学をしたのです。
卒業後は、二人で一緒に大学付属病院でのインターンを経験し、渡日後二人とも日本の医師免許を取得しました。その後、日本医科大学附属病院の形成外科を経て、美容外科の世界的な先駆者である十仁病院へ。美容皮膚科の草分け的な存在である故板倉清先生に師事し、多くのことを学ばせていただきました。そして、1992年に日本初の美容皮膚科・皮膚外科の専門クリニックとして『東京スキンクリニック』を開設。1996年には港区六本木にクリニックを移転して、皮膚科・美容皮膚科の自由診療をおこなっています。
自らの興味を追求し、美容皮膚科のパイオニア的存在に
医学の専門分野で私が最初に興味を持ったのは神経内科。やがて、手術によって患者さんを元の生活に戻せる外科、特に結果が目に見える形成外科に魅力を感じるようになりました。オランダのホームドクターのクリニックで研修中、重症の「肝斑」の患者が来たのですが、ホームドクターは「最先端の大学病院に所属するインターンもわからないので」と、何もできずに帰ってもらうしかありませんでした。今なら助けることができたのに、当時のオランダでは何の治療も提案できなくて。そのときの経験が心に残ることになり、美容医学を学びたいという想いから十仁病院に移ることにしたんです。
ですから『東京スキンクリニック』は、恩師であるドクターが専門としていた皮膚の美容医療を継承し、革新的なテクノロジーを導入して、発展させたと言いますか。今でこそポピュラーになったボトックス注射も、1990年に私たちが初めて日本に導入したんですよ。そのほかにも、炭酸ガスレーザー皮膚手術、グリコール酸ピールなど。美容皮膚科については、日本におけるパイオニア的な役割を果たしてきました。